都立航空高専入学 ワンゲル部入部
檜谷清との出会い(池袋・秀山荘)
日和田山にて檜谷の「クライミング講習会に参加
以降、常盤橋公園に通う
城ヶ崎の岩場で初渡米のパートナー、山野井泰史(後の世界的アルパインクライマー)と出会う
山野井泰史と共にヨセミテへ向け初渡米(〜87年1月)
当時の最難グレード、ヨセミテ/コズミック・デブリ(5.13a/b)、ヨセミテ/フェニックス(5.13a)をレッドポイント
本格的に自らのルート開拓を開始
初の欧州へ
マルセイユで国際コンペに初出場(8位入賞)、この時人工壁でのクライミングを初体験
W杯第2戦バルドネッキアにて長年のスポンサーとなるロストアロー代表取締役、坂下直枝と出会う
ビュークスの岩場にて宿命のライバル フランソワ・ルグランと出会う
ヴェルドン/レ・スペシャリスト(5.14a)をレッドポイント
シマイ/オランジュ・メカニク(5.13b)をオンサイト
航空高専退学
プロへ転向「私は、世界一のプロクライマーを目指し努力します。」
ニュルンベルク/フランケンユーラ国際シュボルツクレッテラー・カップで国際コンペ初優勝を飾る
7年間、欧州に拠点を置く(フランス/プロヴァンス)
フランクフルトでの第一回世界選手権で準優勝
アジア初のW杯、第4戦東京大会で念願のW杯初優勝
アルコ/ロックマスターで念願の初優勝
W杯総合4位
W杯総合3位
W杯総合22位
世界最難のクラック、コロラド/スフィンクス・クラック(5.13b/c)をオンサイト
結婚
ヨセミテ/エル・キャピタンのノーズ(5.13c)をレッドポイント。この時の最終ピッチはその後のクライミングに大きな影響を与える。
ヨセミテ/エル・キャピタンのサラテ(5.13c)を世界初オンサイト・トライ。2日間で2度のフォールにとどめレッドポイントの偉業。
第一子誕生
クライミング講師としての仕事を開始
飯山健治・著「FREEDOM 平山ユージの世界」刊(山と渓谷社)
日本選手権優勝
クラ二イでのW杯最終戦で優勝し、念願のW杯総合優勝
台湾でのアジア選手権で優勝
アメリカ「Climbing」誌192号「今世紀の偉大なクライムとクライマー」にてベスト・オールラウンド・ロッククライマーに選出
第二子誕生
カスティヨン/モータルコンバット(5.14a)をオンサイト、史上3人目の8b+クライマーに
W杯2度目の総合優勝
アメリカ最難といわれたフォートレス/クリプトナイト(5.14d)をレッドポイント(トミー・コールドウェルに次ぐ第2登)
アルコ/ロックマスター優勝
ヨセミテ/サラテをワンデイで完登、スピードアッセント記録も樹立。続けてハンス・フローリンとのノーズのスピードアッセント記録樹立
サラテとノーズの幾度の完登で、次の目標「エル・ニーニョ」が具体化する。
二子山で日本最難ルート「フラットマウンテン」(5.14d/5.15a)を初登、完成させる
ヨセミテ/エル・ニーニョのオンサイト・トライ、レッドポイント
羽根田治・著「ユージ ザ・クライマー」刊(山と渓谷社)
パルッツォーラ/ホワイト・ゾンビ(8c)を世界初のオンサイト
ヨセミテ/ノーズで2度にわたりスピードアッセント記録更新
世界最難クラックの一つ、スコーミッシュ/コブラ・クラック(5.14c)をレッドポイント
長年の夢であったクライミングジムClimb Park Base Campを埼玉県入間市にオープン
JMSCA副会長就任
瑞牆/ミネルバ(五段/V14)を完登
ボルダーの最高グレード更新
Base Camp Tokyo を東京都内にオープン
Boulder Park Base Camp を埼玉県飯能市にオープン
奥多摩御前岩でTime Machine,Climb Machine 両ルート共に5.14c初登
東京2020 スポーツクライミング種目JC解説
Urban Base Camp を東京都新宿区にオープン